長編特集

この州の食卓は、アメリカをきれいに飾らない。

ペンシルベニアの食は、最初から洗練を目指しているわけではない。 もちろん、フィラデルフィアやピッツバーグには現代的なレストランもあり、地方都市の食文化は確実に進化している。 だが、この州の食の核にあるのは、皿の上の美しい構成よりも、誰が、どこで、何のために食べてきたのかという記憶である。

チーズステーキは、都市の速度を食べる料理である。 ピエロギは、東欧系移民と労働者の町の温かさを思い出させる料理である。 プレッツェルは、ドイツ系移民と市場の記憶を持つ。 シュー・フライ・パイは、ランカスターの農地、甘さ、保存、家庭、ペンシルベニア・ダッチの台所を語る。 それぞれは単なる名物ではない。州の歴史が、手で持てる形になったものだ。

日本人旅行者にとって、ペンシルベニアの食はときに重い。 甘い。大きい。塩気が強い。パンが多い。肉が多い。 繊細な出汁や季節の小皿とは違う。 しかし、その重さを欠点としてだけ見ると、この州の食文化は見えなくなる。 これは、働く人、移動する人、家族で食べる人、寒い季節を越す人、長い一日を終える人のための食である。

ペンシルベニアの食は、立派なレストランのテーブルだけではなく、市場の通路、工場地区の店、 農村の食堂、歴史ある酒場、山のロッジ、チョコレート工場の観光施設に散らばっている。 それらを一つずつ食べ歩くと、この州が建国、労働、信仰、戦争、休暇、企業文化を抱えた複雑な場所であることが、 理屈ではなく身体でわかってくる。

ペンシルベニアの食は、皿の上で気取らない。だからこそ、アメリカの本音が見える。

フィラデルフィアでは、市場が都市の胃袋になる。

フィラデルフィアの食を理解するなら、まず市場へ行くべきである。 リーディング・ターミナル・マーケットは、単なる観光客向けの食堂街ではない。 都市の胃袋であり、鉄道と市場の記憶であり、移民の味が並ぶ場所であり、地元の人と旅行者が同じ通路を歩く場所である。

市場では、何を食べるかを最初から決めすぎないほうがよい。 ローストポーク、プレッツェル、菓子、アイスクリーム、コーヒー、ペンシルベニア・ダッチの食、 アジア系の料理、サンドイッチ、肉、パン。 歩きながら匂いを拾い、人の流れを見て、並んでいる店の理由を考える。 そうすると、フィラデルフィアが単なる建国の街ではなく、現在も食べ続けている都市であることがわかる。

チーズステーキは、フィラデルフィアの象徴としてあまりにも有名である。 しかし、名物として食べるだけではもったいない。 それは都市の歩き方と深く結びついている。 立って食べられる。紙で包まれる。高級なナイフとフォークを必要としない。 肉とパンとチーズの単純さが、街角の速度に合っている。

ジムズ・サウス・ストリートのような店でチーズステーキを食べるとき、 味だけで判断しないほうがよい。 店の行列、鉄板の音、注文の速さ、サウス・ストリートの空気、紙に包まれた熱さ。 その全部が料理の一部である。 フィラデルフィアの食は、街の外に取り出して皿に飾るより、 街の中で食べるときに一番よくわかる。

一方で、フィラデルフィアは古い名物だけの街ではない。 ザハヴのような現代的なレストランは、この街が移民、地中海、中東、現代アメリカ料理の交差点でもあることを示している。 建国の街というイメージの奥で、フィラデルフィアは今も新しい味を作り続けている。

ピッツバーグでは、サンドイッチが労働の形をしている。

ピッツバーグの食を語るとき、プリマンティ・ブラザーズのサンドイッチは避けて通れない。 肉、チーズ、コールスロー、ポテトをパンに挟む。 皿の上で分けない。中に全部入れる。 それは冗談のようにも見えるが、実は非常に都市的で実用的な食べ方である。

鉄鋼の街では、食は腹を満たすものでなければならなかった。 長い労働時間、短い休憩、寒い季節、移民の共同体、工場と川と橋。 プリマンティのサンドイッチは、そうした都市の身体感覚を持っている。 上品ではない。だが、強い。 それはピッツバーグそのものに似ている。

ストリップ地区は、ピッツバーグの食を歩いて理解する場所である。 ここには、ダイナー、デリ、イタリアン、ポーランド系の食、サンドイッチ店、食材店、コーヒー、スポーツの色が混ざる。 倉庫と市場の記憶が残る地区であり、古い労働者の町が新しい食の地区へ変わっていく過程も見える。

パメラズ・ダイナーの朝食は、ピッツバーグの普通の時間を感じさせる。 パンケーキ、卵、コーヒー、隣の席の会話。 旅行者にとって、朝食はその街の温度を知る最短距離になることがある。 観光名所へ行く前に、地元の朝に座る。 それだけで、ピッツバーグは少し近くなる。

エス・アンド・ディー・ポリッシュ・デリのような店を入れると、ピッツバーグの東欧系移民の記憶が見えてくる。 ピエロギは、ただのかわいい郷土料理ではない。 それは、家族の食卓、移民の台所、労働者の町の温かさを包んだ料理である。 ペンシルベニアの食卓では、ピエロギもまた州の重要な言葉である。

ランカスターでは、甘さと重さが暮らしになる。

ランカスターの食は、都市の食とは違う。 ここでは、食べ物がより家庭、農地、宗教共同体、保存、季節、家族の食卓に近づく。 ペンシルベニア・ダッチ料理は、洗練を競う料理ではない。 それは、働いたあとに食べる料理であり、家族で分ける料理であり、甘さと量に遠慮しない料理である。

シュー・フライ・パイは、その象徴である。 糖蜜の甘さ、素朴な生地、農村の台所の記憶。 日本の感覚からするとかなり甘いと感じるかもしれない。 しかし、その甘さは、単なる過剰ではなく、保存、エネルギー、家庭の歓待、土地の味として理解したい。

ランカスター中央市場を歩くと、食は観光から生活へ戻る。 野菜、肉、パン、菓子、コーヒー、花、惣菜。 地元の人が買い、旅行者が見て、店の人が声をかける。 市場は、ランカスターが単なるアーミッシュ観光地ではなく、今も人が暮らす町であることを教えてくれる。

シェイディ・メイプル・スモーガスボードのような大規模な食事施設は、別の意味で強烈である。 ここでは、量、家族、にぎわい、ペンシルベニア・ダッチ料理の観光化された姿が一度に見える。 静かな小皿料理ではない。 しかし、だからこそ、ランカスター周辺の食文化がどれほど大きく、家族的で、腹を満たすことを重視しているかがわかる。

一方で、ジョン・ジェフリーズやホース・インのような店は、ランカスターの現在を見せる。 古い建物、地元食材、現代的な料理、町の夜。 ランカスターを農地だけでなく、小さな文化都市としても読むなら、こうした店は旅程に入れたい。

ゲティスバーグでは、食事が沈黙から日常へ戻す。

ゲティスバーグの食は、名物だけで語るものではない。 ここでは、どこで食べるかが重要になる。 戦場を歩き、墓地に立ち、リンカーンの言葉を思い出したあと、人はどこかで食事をしなければならない。 その時間は、重い歴史から日常へ戻るための橋になる。

ドビン・ハウス・タバーンのような歴史ある建物で食事をすると、 ゲティスバーグの町の記憶が食事に入ってくる。 古い石の壁、低い天井、灯り、木の質感。 もちろん、食事そのものが過去へ戻すわけではない。 しかし、戦場のあとにこのような場所で座ることは、町が歴史をどう抱えて生きているのかを感じる時間になる。

ゲティスバーグでは、すべてを歴史的演出にしすぎる必要はない。 現代的な店やパブで食べることも大切である。 なぜなら、ゲティスバーグは記憶の場所であると同時に、現在も人が暮らす町だからだ。 食事は、その二つをつなぐ。

ポコノ山地では、食事が休暇の速度を決める。

ポコノ山地の食は、都市の競争とは少し違う。 ここでは、世界最高の一皿を探すより、一日の終わり方を考えるほうが大切である。 滝を歩いたあとに何を飲むか。スキーのあとに何を食べるか。 湖を見たあと、どのロッジで夕食を取るか。 その選択が、山の旅の温度を決める。

バーリー・クリーク・ブルーイング・カンパニーのような場所は、ポコノらしい気軽さを持つ。 山遊び、買い物、スキー、家族旅行のあとに、ビールと食事で一息つく。 そこには、都市の気取った食ではなく、休暇の広さがある。

ザ・セトラーズ・インやレッジズ・ホテル周辺の食事は、もう少し静かなポコノを見せる。 ホーリーの水音、古い宿、季節の食、暖炉、庭。 ポコノ山地は、にぎやかな家族リゾートだけではない。 大人が静かに山の夜を受け取る場所でもある。

ハーシーでは、チョコレートが町になる。

ペンシルベニアの食を語るなら、ハーシーを入れなければならない。 チョコレートは、単なる甘い菓子ではない。 ハーシーでは、それは町の名前であり、企業文化であり、家族旅行であり、アメリカの甘い記憶である。

ハーシーズ・チョコレート・ワールドは、観光施設としてわかりやすい。 明るく、甘く、商業的で、子どもにも理解しやすい。 フィラデルフィアやゲティスバーグの重い歴史を見たあとに行くと、あまりの軽さに驚くかもしれない。 だが、その軽さもまたアメリカである。

ホテル・ハーシーに泊まれば、チョコレートの町を少し上質に体験できる。 食、宿、庭、スパ、家族旅行、企業城下町の記憶。 ペンシルベニアの食卓には、鉄板の肉も、農村のパイも、戦場の酒場も、山のビールも、チョコレートも並ぶ。 その幅の広さが、この州の面白さである。

ペンシルベニアの食は、州全体をつなぐ道である。

もし時間が限られているなら、フィラデルフィアの市場だけでもよい。 リーディング・ターミナル・マーケットを歩き、チーズステーキかローストポークを食べ、 プレッツェルか菓子を持ち帰る。 それだけでも、都市としてのペンシルベニアは見える。

しかし、州全体を食べるなら、旅は一気に深くなる。 フィラデルフィアで市場の密度を食べる。 ピッツバーグで労働者のサンドイッチを食べる。 ランカスターで農地と家庭の甘さを食べる。 ゲティスバーグで歴史ある酒場に座る。 ポコノで山の休暇を飲む。 ハーシーでチョコレートの町を見る。

その順番で旅をすると、ペンシルベニアは一つの大きな食卓になる。 建国、移民、労働、信仰、戦争、休暇、企業文化。 どれも抽象的な言葉ではなく、パン、肉、パイ、ビール、チョコレートの形で現れる。

ペンシルベニアの食は、完璧に整った料理の美しさではない。 だが、それはとても正直な食である。 腹を満たす。甘くする。包む。挟む。分ける。休ませる。 この州を食べることは、アメリカを飾らずに受け取ることである。