ペンシルベニアを食べるとは、アメリカの複数の胃袋を歩くことである。
アメリカの食を考えるとき、多くの人はニューヨーク、ニューオーリンズ、カリフォルニア、テキサスを思い浮かべる。 しかし、ペンシルベニアほど食を通じてアメリカの複雑さが見える州も少ない。 ここには、建国の都市の市場があり、鉄鋼労働者の町の食があり、ドイツ系移民の農村料理があり、 戦場の町の歴史酒場があり、山岳リゾートの休暇飯があり、チョコレート工業の甘い夢がある。
ペンシルベニアの食は、華麗なプレートよりも、地域の記憶に強い。 皿の上で繊細に飾られる料理というより、紙に包まれ、鉄板で焼かれ、市場で売られ、 家族で取り分けられ、工場労働者の昼食になり、日曜日の食卓になり、旅人の休憩になってきた食である。 だからこの州の食は、少し重い。味だけではなく、背景が重い。
フィラデルフィアの食は、都市の食である。港、鉄道、市場、移民、大学、医療、芸術、観光。 リーディング・ターミナル・マーケットを歩くと、その都市の密度が一気に見える。 肉、パン、チーズ、菓子、アイスクリーム、アジア料理、ペンシルベニア・ダッチ、ローストポーク、コーヒー。 市場は、食べ物を売る場所であると同時に、都市の人間関係を可視化する場所である。
ピッツバーグの食は、働く身体の食である。プリマンティ・ブラザーズのサンドイッチは、 その象徴としてあまりにも有名だ。パンの中に肉、チーズ、コールスロー、ポテトを挟む。 それは上品さではなく、効率と満腹の美学である。鉄鋼の町、川の町、橋の町、労働者の町。 ピッツバーグの食には、身体を動かす人間の現実がある。
ランカスターの食は、農地と信仰の食である。中央市場、シュー・フライ・パイ、プレッツェル、チキン、 ポテト、麺、保存食、ジャム、手作りの菓子。ペンシルベニア・ダッチという言葉には、 ドイツ系移民の歴史、農業、宗教共同体、家族の食卓が重なっている。 ここでは、食は流行ではなく、暮らしの継続である。
ゲティスバーグでは、食事に歴史の影が入る。戦場を歩いたあと、古い石造りの酒場で食事をする。 その時間には、観光以上の意味がある。人は重い歴史を一日中見続けることはできない。 食事は、沈黙から日常へ戻るための橋になる。ドビン・ハウスのような場所では、 建物そのものが町の記憶をまとっている。
ポコノ山地では、食は休暇の温度を決める。滝を歩き、湖を見て、宿へ戻り、ブルワリーで一杯飲む。 あるいは歴史あるロッジで、暖炉や木の質感を感じながら食事をする。 ポコノの食は、都市の競争ではなく、移動の疲れをほどく食である。 完璧な美食よりも、山の夜に身体が欲しがる温かさが大切になる。
フィラデルフィアでは、市場から始める。
フィラデルフィアの食を理解するには、まずリーディング・ターミナル・マーケットへ行くのがよい。 ここは観光地でありながら、単なる観光用のフードホールではない。 一八九〇年代から続く市場の歴史があり、今も人々が食べ、買い、歩き、待ち合わせる。 日本から来る旅行者にとっては、ここで一度、アメリカの市場の密度を身体で感じておきたい。
市場では、完璧な一皿を探すより、少しずつ迷うのがよい。 ローストポークのサンドイッチ、プレッツェル、アイスクリーム、コーヒー、菓子、 ペンシルベニア・ダッチの味、アジア系の店。人が並ぶ場所には理由がある。 しかし行列に従うだけではなく、店の看板、調理の音、客の流れを見る。 それがフィラデルフィアの食の読み方になる。
チーズステーキは、もちろん避けて通れない。 だが、チーズステーキを「アメリカの雑な食べ物」として片づけるのは間違いである。 鉄板の上で薄切り肉と玉ねぎが焼かれ、パンに挟まれ、紙で包まれる。 それは都市の速度に合った食であり、立って食べても、歩きながら食べても成立する。 フィラデルフィアの街角の温度が、そのままサンドイッチになっている。
一方で、ザハヴのような店は、フィラデルフィアが古い名物だけの街ではないことを示している。 現代イスラエル料理、中東の味、移民と都市の交差、予約の難しさも含めて、 フィラデルフィアの食の現在を象徴する存在である。 建国の街という重いイメージのすぐそばに、こうした現代的な食の力がある。 そこがフィラデルフィアの面白さである。
ピッツバーグでは、サンドイッチが都市史になる。
ピッツバーグの食を象徴するプリマンティ・ブラザーズのサンドイッチは、 見た目からして説明がいらないほど強い。肉、チーズ、コールスロー、ポテトをパンに挟む。 皿を分けない。気取らない。腹を満たす。これは、都市の労働のリズムに合った食である。
ストリップ地区で朝を始めると、ピッツバーグの食文化がよく見える。 ダイナー、ポーランド系のデリ、イタリアン、サンドイッチ、コーヒー、食材店。 ここでは、鉄鋼都市の移民史が食として残っている。 ピエロギや東欧の味、イタリア系の食材、朝食のパンケーキ。 ピッツバーグは、ただ重いサンドイッチの街ではなく、移民の胃袋が重なった街である。
パメラズ・ダイナーのような朝食店では、ピッツバーグの気取らなさが見える。 旅先の朝食は、土地を理解する最短距離になることがある。 コーヒー、卵、パンケーキ、隣のテーブルの会話、店員の動き。 そこには、博物館では見えない都市の普通の時間がある。
ディアノイアズ・イータリーのような店を入れると、ピッツバーグの現在も見えてくる。 古い工業都市が再生するとき、食は大きな役割を果たす。 倉庫街が市場になり、古い労働者地区に新しいレストランが入り、地元の人と旅行者が同じ通りを歩く。 ピッツバーグの食は、過去と現在が同じパンの中に挟まっているようなものだ。
ランカスターでは、食べる前に暮らしを想像する。
ランカスターの食は、農地の食である。 そして、信仰共同体と家族の食である。中央市場を歩くと、地元の野菜、パン、肉、菓子、 コーヒー、惣菜、花が並び、ランカスターが単なる観光農村ではなく、今も人が買い物をする町であることがわかる。
ペンシルベニア・ダッチ料理は、上品さを競う料理ではない。 たっぷりした量、甘さ、保存、家庭、労働の後の満腹感。 シュー・フライ・パイ、チキン、ポテト、麺、プレッツェル、ウーピーパイ。 味の繊細さよりも、暮らしの確かさがある。
シェイディ・メイプル・スモーガスボードのような場所は、その量と活気を体験する場所である。 静かな小皿料理ではない。大きく、にぎやかで、家族連れがいて、バス客もいて、 皿に次々と料理が盛られる。そこには、観光化された部分もある。 しかし、その大きさ自体がランカスター周辺の食文化の一面を伝えている。
一方で、ランカスター市内には、ジョン・ジェフリーズやホース・インのように、 古い建物と現代的な食を組み合わせる店もある。 ランカスターをアーミッシュの馬車だけで見るのではなく、今の小都市として見るなら、 こうした店を入れたい。農地と市場、伝統食と現代料理。その両方で、ランカスターは立体的になる。
ゲティスバーグでは、食事が沈黙から日常へ戻す。
ゲティスバーグで一日戦場を歩いたあと、人は何かを食べなければならない。 その事実は単純だが、重要である。重い歴史を見たあとに、古い酒場で食事をする。 それは観光の締めではなく、記憶を身体に戻す時間である。
ドビン・ハウス・タバーンのような場所は、食事と歴史が近い。 一七七六年の石造りの建物の中で食べることは、単なる演出ではない。 建物の古さ、部屋の暗さ、木と石の質感が、ゲティスバーグの町の記憶を旅人へ伝える。 戦場の草地を見たあとに、こうした場所で食事をすると、町としてのゲティスバーグが見えてくる。
もちろん、すべてを歴史的な食事にする必要はない。 現代的な店やパブで一息つくことも大切である。 戦場の町も、今を生きる町である。観光客だけでなく、地元の人も食べ、飲み、働く。 ゲティスバーグを記憶の場所として尊重しながら、現在の町としても見る。 食事は、その切り替えを助けてくれる。
ポコノ山地では、食事は休暇の速度を決める。
ポコノ山地の食は、都市の競争から少し離れている。 ここでは、どのレストランが最先端かというより、どの場所で一日を終えると旅が気持ちよく閉じるかが大事になる。 滝を歩いた後のビール、湖の近くの夕食、ロッジの朝食、暖炉のそばの一杯。 食事は、山の旅のリズムを整える役割を持つ。
バーリー・クリーク・ブルーイング・カンパニーのような場所は、ポコノらしい気軽さがある。 家族旅行、スキー帰り、買い物帰り、川遊びの後。 そうした少し疲れた身体に、ビールと温かい食事はよく合う。 山の食は、完璧に飾られた皿より、旅人を受け止める広さが大切になる。
ホーリーやミルフォードの宿では、もう少し静かな食事ができる。 ザ・セトラーズ・イン、レッジズ・ホテル、ホテル・フォシェール。 こうした場所では、食事が宿の記憶と一体になる。 ポコノの大人の旅は、自然だけでなく、泊まる場所と食べる場所の選び方で決まる。
ハーシーでは、チョコレートが町になっている。
ペンシルベニアの食を語るなら、ハーシーを外すことはできない。 チョコレートは、ただの菓子ではなく、工業、企業城下町、家族旅行、アメリカの甘い記憶と結びついている。 ハーシーでは、チョコレートが商品であるだけでなく、町の名前であり、観光であり、宿であり、香りである。
ハーシーズ・チョコレート・ワールドは、子ども連れにもわかりやすい。 甘く、明るく、商業的で、少し過剰で、しかしそれこそがアメリカのチョコレート文化の一面である。 フィラデルフィアやゲティスバーグの重い歴史のあとに行くと、あまりの軽さに驚くかもしれない。 だが、ペンシルベニアにはその軽さも必要である。
ホテル・ハーシーのような宿に泊まれば、チョコレートの町を少し上品に体験できる。 家族旅行だけでなく、大人の週末としても組める。 ペンシルベニアの食の旅を、建国、市場、労働、農地、戦場、山、チョコレートへ広げると、 この州の幅の広さがよくわかる。
一日食べるなら、都市。二泊するなら、州全体を食べる。
ペンシルベニアの食旅は、日数によって組み方が変わる。 フィラデルフィアだけなら、一日で市場、チーズステーキ、現代レストランを組める。 ピッツバーグなら、朝のストリップ地区、昼のプリマンティ、夜のイタリアンやブルワリーで街の変化が見える。
しかし、州全体を食べるなら、最低でも数日ほしい。 フィラデルフィアで市場の密度を感じ、ランカスターで農地の食卓を受け取り、 ゲティスバーグで歴史酒場に入り、ピッツバーグで労働者のサンドイッチを食べ、 ポコノで山の夜を休ませる。時間があればハーシーで甘い記憶を入れる。 その順番で旅をすると、ペンシルベニアは一つの大きな食卓になる。
この州の食は、洗練だけで測れない。むしろ、少し重く、少し甘く、少し大きく、 そして非常に人間的である。ペンシルベニアを食べるとは、アメリカをきれいに飾らずに受け取ることだ。 市場のざわめき、鉄板の音、農地の甘いパイ、古い酒場の暗さ、山のビール、チョコレートの香り。 その全部が、この州の味である。